NORIKOの週刊日誌
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 2003.6.27 梅雨に入ってよく雨が降る。うっとうしい日が続くからか、血なまぐさい事件が続く。誰もがイライラしているようだ。大きく深呼吸をして一息入れるのも良いかもしれない。

 食べ物と“キレル”と言うことの因果関係ははっきりしないが、十分あり得ることのように思う。先進国ほど、スナック菓子を始め人工的な食品が多く、事件内容もヒステリックなものが多い。そして何でも薬で解決しようとする。この悪循環。

 共産党の急先鋒と言われている筆阪参議院議員が突然セクハラ事件で辞職した。内容は全くわからない。でも国会議員という立場からして、情報を公開する責任があるはずだ。「相手の事を考えて・・・」と、いつも加害者側が使う言い訳を共産党も言っている。共産党の言う情報公開とはこんなものなんだろうか。

 私の扶養家族申請直後に、同じような届け出時期による問題が多々あると新聞に載っていた。やっぱりと思うが、だいたい申請主義自体が不親切ではないか。親切な人が対応してくれるとは限らない。私なんかは学校事務の不親切さやいい加減さでずいぶん迷惑している。

 年金手帳を預けても「預かっていません」とか「・・さんが預かっているらしい」とか。とうとうあったまにきて「あなたがうけとったのに人ごとのように言わないで下さい」と言ってしまったが、そんなのに限って都合が悪くなると「この仕事だけにかかっていられない」とか「嘱託で半日ですから」とか言い訳をする。「ショクタクゥー?ハンニチィー?それがどうした!なんで私が迷惑を被るわけ?プロになってよ!」と言いかけたが、グッと飲み込んだ。

  挙げ句の果てに、一ヶ月以上絶って今日私の年金手帳が帰ってきたが、事務職とは無関係な第三者経由だった。それも封筒にほりこんだだけでだ。個人情報もなにもあったものではない。

  「ひどすぎる事務に、次田もえらい苦戦してるんやねぇ」と、言われますが、こんなことでいつになったら完全に手続が終わる事やら・・・トホホです。

  2003.6.21 6月から夫の扶養者になることを認められそうだ。5月中に申請書類は提出していたのに、付属資料が6月10日だったからって7月はないでしょう。京田辺市選管も協力してくださったらしい。こういう申請は簡素化された方が良いと思うが、その反面いいかげんなものでも困るし、難しいところです。

 事務の方も以前より丁寧に対応してもらえるようになったのでひと安心というところです。「興味を持ってみてますよ」とか、「おもしろい話しですね」なんて、他市の議員からもメールをいただいた。“次田市民”は何かと悪戦苦闘しています。でもこれから保険の切り替え、年金の切り替えが始まるのです。ヤレヤレ。

  2003.6.19 夫の扶養家族になるのも並大抵ではない。議長が「4月20に失職したことに相違ない」と証明してくれたにもかかわらず、届け出日が6月10日だから扶養手当などは7月からになるという。そんな馬鹿な!と直ぐに県に連絡したが、諦めなければならないらしい。でも解せない。

 1,そもそも失職日が明らかなのになぜなのか。

 2,各月1日までが当月扱いで、それ以後は届け出月の次の月からとなるなんて、ぜんぜん説明を受けていない、それどころか、学校の事務職は「国保はお金さえ払えばいつまでも使えますから」と来る。そうかもしれないがだれが払うと思っているのだろう。

 3,だいたい必要書類の説明や、今回のような失職証明の見本すらないので、あちこちうろうろして今になったわけだ。不親切というより、こんな事をスムーズに教員家族のために働くのが事務職の仕事であり、指導するのが県教委の責任だ。これを泣き寝入りするのは何か納得できない。「他にもみなさん遅れておられますから・・・」という事務職の言葉は、県の担当者も「言うべき事でない」と認めた。

 以前の勤務校で、三男が生まれたときも、児童手当の手続を事務職員が怠り、数ヶ月分もらわなかったことがある。「すみません」と謝るもののそれだけ。なんかプロ意識に欠けません?

 小沢福子大阪府議のところで勉強する機会をいただいた。事務所には何人かスタッフがいて、市民相談などをしている。本棚には資料がびっしり。見たい資料もあった。外部監査などはじっくり読みたいところだが、当面私は支援費について任された。今、頭の中はこんがらがっています。

 とにかく小沢府議は忙しく、飛び回っている。そんな様子を見て比べるわけではないけれど、ここの民主党の上村崇府議は何をしているんだろう。事務所もスタッフも持たず、出来る仕事ではないと思うが、上村府議が、事務所やスタッフを置いているという話は聞かない。1人でふらふらしているなんて、よっぽど超人ビビューンか、今までどうり超手抜き議員かどっちかだな。

 市役所玄関で市長とニアミス。あの黒塗り公用車で帰ってこられたところをばったり。一瞬顔が引きつったように見えたが、私の思い過ごしかも。6月議会の議案に市長給与の減額はやっぱり出ていなかった。出来るだけ長いこと今のままにしておこうということらしい。記者会見で「減額する」と言ったんだからさっさとすればいい。言ったことを今になって後悔しているのか、それともみんな忘れるとでも?ぜーったいわすれませんよ!ネッ!

 家族が増えました。猫の“寅吉”です。近々ホームページに登場します。お見知りおきを。

  2003.6.16 みどりの会議事務所で統一地方選挙御苦労さん会が開かれた。中村敦夫代表から「地方から政治を変えるしかない」意味を再度聞いた。しかし今回の地方選はかなり厳しい結果だった。正しいことを言っても通用しない社会って何なんだろう。

 市長選立候補者も私を含め4人来ていたが、市職員の意識改革が今こそ必要なときだという話になった。あの徳島県知事としてがんばった大田さんの関係者も、問題は県職員にあったことを指摘していた。しかし大田前徳島県知事は落選したと言っても4万票近くものばしている。そのことによりダム問題をないがしろに出来ないという布石を確実に打っていた。

 私の場合も形だけとはいえ合併に反対させることが出来た。しかしあくまでも形だけであり、“中核都市を目指す”と、市長は今まで言ったこともないことを言い出しており、いつなん時「だから合併するんですがな」と言い出しかねない。また、長期計画にないので問題は問題だが、体協と商工会にばかり力を入れていた市長が文化施設を作ると言った。選挙を無風にしてはならない意味はココにあることを再確認した。

 引きあげられた北朝鮮の不審船を見にお台場に行ってきた。銃撃戦の時のビデオ公開もしていたが、沈没するに至った瞬間はビデオが切れていて、全く分からなかった。一応“自爆”となっていたが・・・。船を見ると怖くなってきた。船員が沈没しないように弾で空いてしまった穴に衣類を詰めており、それもそのまま残っていた。

 反北朝鮮意識を高めていくのには何よりの題材ともとれる。入り口では、拉致被害者救援の署名活動も行っており、複雑な思いがした。イラクの次は北朝鮮ということだろう。有事法を通過させてしまった人たちは、自民、公明だけでないことをはっきりしておこう。民主党とそれにからみつく組合組織も同じ罪を犯した。いや、大きな働きをした。良心がとがめて、こんなところにもういられないと思う人がいて当たり前。今は“たたかわない組合”なんて馬鹿にしている場合ではない。有事法成立に力を注いだ民主党と仲良くしたい人だけの組合でいいとは思えない。

  2003.6.10 市議でなくなり夫の扶養家族になろうとすると、あれやこれやと手続きが大変。「無職証明がいる」と、県教委に言われ民生委員さんに証明してもらったり、税務課にいったりした。それよりも市議であったことの証明や、失職した証明をもらってくるように言われたけれど、それも変だと思う。議会の位置づけが企業とは全く違うからだ。任命権は市長でも議長でもなく市民。誰が証明するのか。

 “見込み収入証明”の提出も言われたが、私は収入があるなら扶養者にはならない。京田辺市議会事務局も選管事務局も「こんな話聞いたこともない」と困ってしまった。私が議員だったかなんて議事録を見れば分かるし、失職したのは市長選に立候補したからだということはみぃーんな知っている。

 仕方がないので4年前の当選証書と「8年間まじめな議員だったが、市長選立候補のため失職した。相違ないことを証明する」と自分で文章を作って現議長のはんこをもらいに行ってみよう。こんな事をしている間に日がたってしまう。学校事務職員は「さかのぼって払えません。みなさん遅れている場合、仕方がないのです」とおっしゃる。おかしい!すぐ県教委に電話をしてみたら「そんなことはない。さかのぼって支払う」とのことなのでホッとした。

 「みなさん遅れて・・・」なんて、泣き寝入りさせてる方がおかしい。聞かれたことに的確に対応するのが事務方の仕事でしょう。今度ごちゃごちゃ言ったら・・・考えます。

 “次田市民”が、聞かれるまで名前を言わず、市役所に電話をさせていただいていますが、「へぇー、そんな言い方を市民にはしていたわけ」と感じることがある。待たすことも平気。「電話代が高くつくでしょう」と言いたくなるほどまたしていただく。“次田議員”の時はそんなことがなかったので、びっくりしてしまう。

 一度議員として電話したときにあんまり長く待たされるので、電話を切って市役所に飛んでいったことがある。フツー電話の向こうで待っている人が目の前に来たらびっくりしませんか?ぜーんぜん悪びれない職員に、反対に私の方が驚いたが、市民にもちゃんとしてほしいですよね。そんなことを忘れかけていました。今は何もかもが、妙に新鮮です。 

 2003.6.7 枚方市第二清掃工場とその周辺の環境を考える会が現状報告会を開いた。これからの会の存続などについても話がされた。市民の力は目に見えなくても効果や影響力があるので存続をお願いした。もちろん私も今まで以上関わらせていただく。

 市民からは議会になかなか厳しい意見が続いた。何人か議員も参加していたが、これといった意見も出なかった。

 リベンジした小林と橘両議員が「費用弁償を返上する」と新聞に出ていた。一瞬、橘氏は過去12年分、小林氏は・・・何期しておられるのか忘れてしまったが、それら全部をお返しになると相当の金額になると思ったがそんな事しないはず。でもしないよりいいかも。ちなみに私は費用弁償で講演会を開いたり、ビデオや資料を買って貸し出したり勉強会に使ったりしていた。

 政務調査費も請求、申請しなければいいと思う。これが出来たから費用弁償はいらないということなのかもしれないが、政務調査費のあり方もおかしいので、私はいただかなかった。

 この間料理教室に行ったり、市民派議員勉強会の準備をしたり、女性グループふぇみん設立準備会をもったり、市長選挙報告をくばったり、気功教室に行ったり・・・もちろん主婦もちょっとづつしています。休んでいたゴスペルやお三味線もまたはじめようと考えています。すき間を縫って映画を見てきました。“めぐり会う時間たち”や“渡り鳥”はよかった。映画館でごらんになることをおすすめします。

 ただいまから女性問題アドバイザー養成講座“WILL”の同窓会。選挙があったのでみなさん待っていてくれたため、今あちこちの同窓会へ行っています。話のちょとしたところに落選した私への気遣いが見えます。みんな優しいなって感じます。みんなありがとう。

 2003.5.31 週刊日誌をどれだけの方たちに読んでいただいているかを知るために、カウンターを付けている。ウィークデイから比べると土・日曜日は半分ぐらいに減る。ということは、役所関係の人たちがかなり見ているということになる。市長や助役は必ず見ているようだが、公費で買っているパソコン。そんなに気にしていただかなくていい。

 市長選報告を配り始めると、あちこちから反応が届く。“どうされるのか心配していました。願生って(がんばって)ください”“元気で安心しました”ほとんどこういった励ましなのですが、なかには「共産党の塩貝ですが・・・」と“共産党は実質現職を推薦”ということに「抗議の電話です」ということなので「わかりました」と言っておいた。抗議を聞く聞かないは私の勝手。

 共産党は、有事法にも住基ネットにも反対しない市長に毅然としていなかったではないか。現職が、乳児医療の対象枠を広げたことが評価できるそうだが、共産党にとって“有事法制”“憲法問題”などと“乳児医療”は同次元なのか。共産党から反戦・平和をとるとノンアルコールビールみたいなもの。害にはならないけれど、あってもなくてもいいようなものになる。“護憲”その一点で知事選に協力した次田のり子は心配しております。

 「イラクの次は北朝鮮」と多くの人が心配している。憲法を変えることも自民党は出してきている。自治体協力も強制される。どうなってしまうのか心配だ。私に協力しなかった共産党は、根性が小さい。次田が気に入らないと言うことと、政策を決定していくことは別だ。でも、こんな事今に始まったことではないな。天下り反対としながら、収入役は市職員上がりなのに賛成した。もちろん反対は私だけ。

 以前、共産党京田辺市議団は、私の提出した「新ガイドライン反対の意見書」に反対した。後日、赤旗の折り込みで「私たちが間違っていました」と、彼らは反省していた。「しっかりしいや!」と言いたい。日本が右傾化していく中、本当はこれからが出番なのに、そうならない理由を考えるべきです。

 尼崎市が黒塗り公用車を380万円で売却した。白井市長もホッとした様子。私はニュースを見ながら「尼崎は一生懸命経費節約しはんにゃなぁ。こんなニュースが出るたび、久村さんもいややろな。それにしても今時買うか!」と、友人とブチくりました。

  2003.5.29 ジャック・ニコルソン主演の“アバウト・シュミット”を見てきた。妻に先立たれた男の話なのだが、一度見ておくといいと思った。仕事中心の生活から一変してしまう生活の対応はやはり急には難しい。地域や仕事以外の活動というものがあるかないかがここで違ってくるかもしれない。

 生け垣がのびきってしまった。選挙の関係で手入れが滞ったため、花が咲いてしまった。この臭いが嫌いなのです。鼻が痛くなる。くしゃみも涙も出てくる。こんなのに限って、犬が走り回っても枯れないのです。大事なコップは欠けたり割れたりするのに、どうでもいいコップが割れないのとよく似ています。

 選挙報告が予定より少し遅れてお配りしています。また議会が始まると傍聴記も書きます。みなさんからのご意見やご相談も聞かせていただいています。私が出来ることをやっていきたいと考えています。

 2003.5.25 東京でウィンウィン・盟約5・フロンティアなどがパネラーとなって統一地方選挙についてのシンポジウムが開かれた。北海道ニセコ町長も講演された。「無党派から市民派へ」というテーマだったが、もちろん答えは出ない。ただ私の気にしている問題点と話の内容がかなり一致していた。

 地方分権の進む中、何か違うと感じてきた。たとえば地方分権という前にこの国をどんな国にしていくのかという議論が抜けていると思うのだ。ニセコ町長もやはりそうおっしゃっていた。これは国だけでなく町の単位でも同じ事がいえる。

 今回は訳あって東京中を走り回った3日間だった。東京ってやっぱり情報量が全く違う。ここは一つの国だなっていつも感じる。

 2003.5.21 井手町を相手取り町職員が提訴した。手術をしてからも完治しないため、職場配置変更を申し入れていたが受け入れてもらえなかったということらしい。こんな事ぐらいでなぜ提訴になってしまったのだろう。約30年働くうちに体調が悪くなるのは誰にでもあり得る。そんなときの補償は当然となるのか興味がある。

 「ドはドクロのド、レは・・・」とひどい歌を生徒に聞かせていた校長のことが新聞に載っていた。「誰にも言わないように」という前置きも念が入っている。なんとまぁ・・・きっと今までも歌っていたんだ。情けない。

 でもこれが京田辺市なら、不問に付されていますよ、きっと!へたしたらあのことだって新聞沙汰になったかも。ホッと胸をなで下ろしている人たちもいるでしょう。

  2003.5.20  昨日またあそこでお葬式をしていた。だんだん堂々とやってきているが話はついたのだろうか。つかないままにやっているとしたらおかしいと思うし、府はほったらかしにしているということなのだろうか。

 市議会の役選が行われ、議長は予想どうり。公明党が副議長になっていた。産業立地特別委員会委員長に、議会運営も分からない新人がなるなんて変だと思う。重要な案件だから特別委員会をつくっているはずだ。新人も2期以上の議員も、あんまり変わらないから誰がしても同じということか。それともどっちみち、シャンシャンとなる話なのか。共産党が5人もいて、これか・・・。

  徳島県知事選挙は予想どうりになった。敗因はいくつもあるだろうけれど、保守系の無党派対策立て直しが出来たのだと感じる。都知事選の時に、何か強い力を感じた。その時“ヤバッ!”と思ったのをはっきり覚えているが、何がというところまではいかなかった。恐ろしい勢いで右傾化している。右傾化を加速させている民主党の存在意義がココにある。

 落選してからも何人かから「選挙の相談をしたい」と御連絡頂くがお断りしている。理由は2つ。“負けたからまだ整理できていない”ということがひとつ。もう一つは“うっかり引き受けて悪い人にされた”ということがあり警戒気味なのだ。

 いつも書くように市民派の選挙は地をはうような選挙。先にそのことをお断りするが「大丈夫です」とたいていおっしゃる。でもそれは想像を超えます。かなり細かいことまで神経を使います。そしてすべて自分でするのです。おうおうにして人頼み、あわよくば票も分けてもらおうなんていうのは甘いです。“思いと違った”と悪態つく理不尽なのがいたのです。

 “私が頼んで来てもらったワケじゃない!始めから近寄ってこないで!”

  ホントいい迷惑です。その方はある党にも行かれて駄目で「なんでもあり党」で拾ってもらわれ当選したようです。そこでも「もっとあれもしてほしい」とぶちくっていたとか。選挙ジャンパーを着せられていた人たちも怒っていました。

 そんな厳しい市民派選挙を勝ち抜いたら、自分のことのようにうれしいです。私の所にくる情報はどんどん回します。苦労をともにした仲間なんだからがんばってほしいです。私もじっとしてはいられません。“負けの分析”は結構苦しいですが、これをしないと次はありません。 

 2003.5.17  いつだったかこのコーナーでも「民主党なんかに入っている議員は選挙に通りたいため」と書いてえらく怒られたことがある。でもその、反面私の周りの女たちはみんなそんなこと見抜いていた。だめなのは「組織がなければ・・・」と思いこんでいる男たちと、これっといって何もしたことのない人が、議会に“就職”する“近道”で、あんな民主党にお世話になるということなのです。市議としてほとんど働くこともなかったあの上村さんといい、今度の人といい何をしてきたということも全くない。結局、議長会派に属し、市長の腰巾着。

 市民派議員の女たちは、地をはうような選挙を自分の力でする。だから堂々としている姿がまぶしいぐらい。組織はおうおうにして男社会。そんなものにお世話にならないというか利用されてはいけない。「女性議員を増やさな受けへんなぁ」という男たちこそジェンダーの固まりです。

 大住市営墓地の72個のお墓を、岡村三野に無償提供するらしい。部長に聞くと“等価交換”のようなニュアンスなのだが、いまいち理解しにくい。それになぜ市長が個人的にあの方に「72個渡すさかい、40万円以上で売ってくれよ」と言ったのだろうか。「あんたのお墓と違うやろ!」と言ってしまいそう。

 健康村公民館を建てた業者が、その公民館で建物の説明会というか、商売をしていた。あれはモデルハウスではない。税金も入れて建てているのに、何か解せないな。

  2003.5.15  近畿市民派議員学習会から帰ってきました。統一地方選挙後初めての開催だったので、新人議員がずらっ。若い女性たち!28歳の大阪府議・25歳の高槻市議・29歳兵庫県議・・・40・・歳木津町議。みんな組織に頼らず元気いっぱいだ。議会についての勉強からだったが、復習できてよかった。

 久しぶりに会った小沢大阪府議には、あれやこれや思いの丈のほんの一部を聞いてもらった。衆議院選挙などの応援に行くことも引き受けた。今の私のリベンジは、1人でも多くの仲間に当選してもらうこと。そのためなら私のできることは惜しまず協力しようと考えている。無所属市民派の力を結集して行かないと大変なことになる。

 有事法案が通過してしまった。民主党の犯罪的な合意は許せない。多くの組合は民主党にしっぽを振っているが、それがどんな世の中にしていくのか、1人1人考えるべきだ。自分さえよければと思っていると、きっと禍根を残すことになるだろう。近々出すビラでははっきり民主党を批判していく。

  2003.5.13  昨日は久しぶりに市役所に行きました。「4年後はどうされますか?」と、何人もの職員さんに聞かれましたが、「まだ分かりません。少なくとも議会には戻りたいと考えています。その時は、あの党や組織の人たちには倍返しです」と、言っておいた。私は巳年。執念深いのです。あー、恐ろしや。

 でも4年も待っていられません。早速取りかかっているのは・・・アッ、まだ言えません。議会が当てにならない状態なので、枚方市との環境問題を考える会も、さっさと自分たちで申し入れを行いました。枚方市の朝日新聞にも取り上げてもらいました。これでいいと思います。

 尼崎で開かれた“虹と緑の500人リスト新人研修”に、うちの男女共同政治参画セミナーから当選した新人議員2人が参加した。大変勉強になったと報告してくれた。新人議員のみなさんから「勉強会をして下さい」と言われていますが、思案中です。するとしても少人数でしっかり勉強できるものをと考えています。

 息子からは下宿探しを頼まれるし、選挙中お休みをしていた夫のお弁当づくりも再開しているし、部屋の模様替えというか大掃除というか、アイロンがけもたくさんあるし、とにかく主婦は忙しい。

 そんな中をご無沙汰していた友達とお茶したりお酒したり・・・でも、ふっと立ち止まると選挙の反省しきり。“なんでもっとのびのびやれなかったのかな”“あれもこれも言いたかった”“なぜ「次田さんらしい元気は?迫力は?」って言われたのか”“あのひと言が足りなかった”“みんなの思いに答えられなかった”この繰り返しは当分続くでしょう。 

  2003.5.11  選挙を振り返ってみなさんいろんな意見をくださる。どれももっともなことばかり。しっかり頭に入れておこう。

 スーパーで何人にも声をかけていただく。「次田さんが市長になったらこの町も変わると期待していたのに、残念でなりません」と、名前も知らない女性たちのあたたかい言葉にただただうれしい。「共産党まであっちにいくなんてね」と、厳しい口調の方も何人もいる。みんな私が説明しなくても分かっているんだ。

 それにしても共産党が、なぜ現職に推薦を出したがったのか理解できない。私が依頼をしなかったことも理由の一つかもしれないが、私は自分で考えて知事選挙に参加した。憲法問題・有事法制問題などとても危険な社会になってきたので“小異を捨て大同につく”を選んだ。それが今回共産党は出来なかったようだ。

 久村市長は日の丸の導入を進め、原発問題にもものを言わない。少人数学級のことなんか意味が分かっていない。有事法制についてもイラク問題についても議論すら出来ない方なのに、なにが良かったのだろうか。すくなくともこれからは共産党に日の丸・君が代問題や憲法・有事法・住基ネット・環境問題・女性政策・少人数学級・同和問題など語る資格はないと思う。「恥を知りなさい」と、言いたい気分。

 前回、共産党推薦の市長候補は善戦したとして約8500票だった。“それを全く組織なしの生意気な次田のり子に、4年前共産党市議を辞任に追い込んだ次田のり子に、共産党京田辺市議団に何かあれば直ぐ共産党府委員会に言う次田のり子に、自分たちも息子も市消防団員だったりするのに、消防団幹部だけがいい事するのを取り上げた次田のり子に、その票を上回らせてなるものか”ということなのでしょうか。

 それにしてもそんな共産党にお世話にならなくても、7428票いただいた。現職にまつわりつき、あれこれ画策していた人ほど、私にに集まった7428票の力ををおそれている。お年寄りが「あんた、久村はんに女性センターをつくるって言わんならようにしたったな」と、言っていただいた。

 「市役所の大きな問題その2」

 選挙前に驚くような投書がきた。ほとんど実名入りだが公表はしない。セクハラ・・・そんなレベルではない。これが本当なら女性として許せないし決してあってはいけないことだ。

 それに私がおかしいと考えているのは、選挙前だったからか、同じ投書を受け取っている組合も、私が連絡をした市も、私がコピーさせてあげた投書をもらったはずの市長も調査しようとすらしない。あきらかに事が大きくなるのをおそれている。投書がきたという事すらもみ消そうとしている。

 この問題を無視することによって被害が大きくなると思う。私の所には「公表しないで。いくらほしいのですか」なんていう、市職員からのいたずらメールもきている。

 2003.5.8  金徳洙(キム・ドクス)のサムルノリを見てきた。ものすごい勢いと、腕のすごさに会場から割れんばかりの拍手だった。最後はみんながステージに上がって輪になって踊った。すごかった。

 会場には岡林信康、黒田清太郎、豊田勇造さんたちの姿も見えた。また多くの友人も来ており話は選挙のこと。「残念やったね。でも元気そうでよかった」と言ってくれる。あんな事でひるみますかいな。ステージを見ながら新しくやっていくことを決めた。

 九十九園のことがやっと新聞に載った。でも「元理事長一族、行方不明」とは書いていなかった。市や府の責任は大きい。だいたい事件発覚後すぐに理事長、施設長親子を理事会はやめさせなかった。府も市も認めた理由は、要するに「生き恥をさらしてやり直す」と言うことでなかったのか。それが今度はどういう理由で辞任を受け入れたのか、はっきりしてもらいたい。

 私の友人がかつて九十九園でアルバイトをしていた。彼女は資格を取っていたので、正式採用の面接を受けた。しかしその時に「あんたの給与で2人雇えるからやめてくれ」と言われ、見かねた同僚たちが署名嘆願を出してくれたという。しかしその時の面接にどういうワケか市の幹部が立ち会っていたらしい。そんなことおかしい。

 議会の会派が発表された。一新もしない一新会にやたらと人が増えている。小林、喜多、羽原3人組はそのままだが、お兄さんからの世襲の市田、再登場の上田、リベンジの松本、市民派いじめも平気な質の悪い民主党の南部、自民党からの鞍替えをした松村、新人小林各議員となっている。

 日の丸推進派の市長にラブコールの共産党は5人。あまりふれたくない公明党2人。分裂気味の自民党3人。パナウェーブ21に改名した方がいいと思うんだけど、色あせた21市民の会2人。・・・不本意ながら、議会に頼らない市民活動が必要になってくる。

 2003.5.7  50歳になりました。知人宅でお赤飯やおいしいお料理とチーズケーキをつくっていただきました。40歳代で3回選挙をしましたが、せいぜい50歳代では2回でしょう。いろいろやりたいことがあります。とにかく楽しみながらやっていきます。

 “野焼き発見!”すぐに生活環境課に通報しました。よく見るとミニ焼却炉までおいている。とんでもない。

 一休ヶ丘と同志社をつなぐ新しい道で葬儀を行っていた。でもたしかあそこは営業権がなかったとかなんとかで、府からも指導していたらしいが解決したのだろうか?それにしてはおかしい。こうして何でも既成事実をつくっていくやり方って、市民には不可解だ。

 「市役所の大きな問題その1しかまだ書いておられませんが、その2を早く書いて下さい」と、御連絡いただきました。そうですね。尻切れトンボになりましたね。今日は原稿書きが残っているので、金曜日の夜ぐらいに書くことにします。結構危ない話ですから、心の準備をして書くことにします。それと来週には選挙報告が出来ます。お楽しみに。

 2003.5.6  フランス映画“8人の女たち”を見てきた。すてきな女優たちだけで進んでいくのですが、なかなかすごい女たちの話でおもしろかった。カトリーヌ・ドヌーブも歌ったり踊ったり。

 九十九園施設長の携帯電話しか事務長は知らないらしい。どこに消えたのだろう。よっぽどのことがない限り、引き継ぎもしないで施設長が消えますか?何千万円も補助金を出し続けている京田辺市の責任は大きいです。「早く捕まえないと国外逃亡をしてもいけないし、フィリピンで福祉施設をつくってまたもうけようとしても困るし」と、元職員さんたちと大笑い。でもないこともないかも・・・。裏で絶対誰かが糸を引いている。

 昨夜は選挙にかかわってくれた仲間たちと打ち上げをしました。楽しく戦えた選挙でしたが、それぞれに課題は感じています。4年後はどうしようか・・・いろいろな事が頭の中を駆けめぐります。

 「議会に戻ってね」という方もあれば「4年後こそ勝負」と言ってくれる方もありますが、とにかく主婦業は忙しい。そんな日常の中から明日を考えてみます。

 日本全国右傾化の中「市民が野党だ!市民が本当の野党になろう!」こんな思いに何回も何回も気持ちを奮い立たせようとしたけれど、どこかそこにも風が吹いていて“打つ手なし!”が正直な私の気持ちです。模索の4年になるでしょう。でも決して諦めないことが肝心です。

 2003.5.4  今日はR・レッドフォードの“ハバナ”と“スパイゲーム”を見ました。ブラピも出ていましたが、なんとなくおもしろいような、そうでもないような映画でした。アメリカの限界かな?という感じです。

 昨日の憲法キャラバンでは、たくさんの市民派議員の仲間たちに会いました。ほとんど統一地方選挙で勝ち抜いてきており喜び合いましたが、浪人になった私も相変わらず元気なので、みんな安心してくれたようです。若い新人議員も、一生懸命、憲法問題についてアピールしていました。

 民主党にさんざんやられた話をすると、市民派を痛めつけているのはほとんどが民主党だということも、厳しい選挙だった話を聞く中で良く分かります。もともと寄り合い所帯の民主党です。これからは自由党と仲良くするとのことですから、何が起こっても不思議ではありません。

 私の選挙を多くの在日外国人が応援してくれました。選挙権のない彼らは「こんなに選挙に興味を持ったのははじめて」と言います。また「今回ほど選挙権がないことが残念でならなかった」とも。仲間のみんな本当にありがとう。

 2ちゃんねるで京田辺市の選挙について「ジェンダーといいながら、なんでピンクなんや」と書いてありました。ここが今問題になっているところなのです。女がブルーで男がピンクならジェンダーフリーということにはならないのです。ジェンダーフリーとは、選択権・自己決定権の問題なのです。ちなみに私がショッキングピンクを選んだのは、気に入っているからです。それだけです。

 選挙戦ではいろいろおもしろいことがありました。健康ヶ丘の交差点ど真ん中でで井上公候補の車と私の車がすれ違ったとき、候補本人が「次田候補今日もお美しいことで」といつものような冷やかしをマイクを使っていったのです。すかさず私は「それがセクハラというものです」とマイクでお返しをしました。横断中の人たちは大笑い。明るい選挙推進協議会のかたも「うまく返しましたね」と言ってくれました。

 2003.5.3  今日は憲法記念日です。市民派女性議員が街頭アピールを行います。浪人中の私も参加します。憲法の大切さをもう一度確認しあいたいものです。

 九十九園の元理事長・施設長家族がいなくなりました。行き先が分かりません。新施設長は市教育委員ですが、未経験者です。どうなるのでしょうか。返還金3500万円以外に何かあるから一族は消えたのでしょうか?よけいおかしく思うのは私だけではありません。

 九十九園問題は、市の責任が大きいです。市長にとっては人ごとのようですが、大きくかかわった岡本助役の責任は大きいです。ふつうは辞任でしょう。亡くらなくても良かったお年寄りがたくさん亡くなてしまったのですから。それにしてもこの助役のやり方はおかしいと思います。

 助役は選挙中に限って言えば、現職の個人演説会の弁士を務めるなど、べったりだったとか。次期市長後継ということをアピールしたかったのは見え見えですが、市の特別職がしていいことかどうか。道義的に問題があります。

 ふつう現職側はしないのですが、助役がかなり口汚い次田批判をしたと多くの人から聞いています。聞いている人たちもあきれたとのことです。批判内容を聞いていて“レベルの低い話で市民をごまかせると思っているのは、市民を馬鹿にしているんだな”と感じました。

 これからはもっと強権的になるでしょう。現市長は抜け殻状態ですから、市政は今まで以上にこの助役が動かしていくことは、市役所では誰もが知っていることです。力の弱い市民にはますます冷たい市政になります。

 岡本助役が「会社を休んで子どもの入学式なんかに来る男は情けない」と、保育所の入園式の控え室で話していたのをしっかりと私は聞いています。この方にとって男女共同参画が本心ではないでしょう。

 私は元気でおります。“アイアムサム”も見ました。市民派議員勉強会も始まり、一から勉強し直しです。女性グループも活動開始です。じっとしている間はありません。 

 2003.5.1  7428票は、現市政への批判票そのもの。今の市政がおかしいと思っている。選挙の争点云々というが、私は正しかったと考えている。わかりやすく言うと“利権優先か、市民のためか”ということなのだが、相手が争点にさせないようにしていただけだ。いや、分かっていないのかな?

 シビックゾーンなんて市の長期計画にはない。今日の新聞を見ると市長は「共同作業所は農業試験所の建物をそのまま使う」と発表し、周りをがっかりさせた。選挙中に言っていた歴史資料室も、女性センターも、南部住民センターも載っていなかった。やっぱり消えてしまうのだろうか。

 民主党にはさんざんやられましたので、触れたくもないのですが、「民主党の新人候補はお知り合いでしょうか」と、また聞かれましたのでお答えしておきます。

 一切関係ありません。「女性議員を増やそう」というのは私の願いですから、選挙中もいろんなところで言いました。でもその方は選挙カーで、選挙中に現職の選挙事務所を、おたずねになるぐらいですから相手側です。バックアップスクールや市民派女性議員のネットワークでもありません。民主党ですから、あの上村元市議の後任です。

 今日は、新人の呉羽真弓木津町議たちと道の駅に行ってきました。たこ焼き食べたり、お茶をいただいたりと楽しかったです。続きに勉強会などの情報交換をしたり、お互いの選挙の話をしたりしました。こういう話が大切なんです。電話で「落選したときほど見えなかったものが見えるよ」と、小山元泉南市議が教えてくれました。ここ数日、それがよく分かります。

 市民派の仲間にも何人か落選者が出ました。「一回みんなで会おうか」と誘っていただいたので、「いつでもいいよ、暇やから」と言うと「みんなそうや」との返事。そらそうですね。

 2003.4.30  正確にはこれからですが、市長選挙で使ったお金はだいたい100万円ぐらいです。使いすぎたかも。でもおかげさまで供託金が返ってくるのでなんとかいけます。28日に街頭で選挙報告をしていると、「これからどうするの?夫は何かしているの?」と生活を心配してくれるおなじみさんが何人か聞いてくれました。「夫は公務員です。しばらくは養ってもらいます」と答えました。

 個人演説会は多くて25人でした。そこから7428票はなかなか想像できない数字ですが、市民派とはそんなものです。その代わり街頭演説は1日20カ所以上はしたと思います。それが私の個人演説会と考えていましたから個人演説会の人数は気になりません。

 現職がなれない街頭演説をしなければならなくなったことや、当初予定になかった知事・副知事を呼ばなければならなくなったことを考えるだけでも「やったー!」という感じです。

 2003.4.29  市長のインタビューが新聞に載っていました。「市長給与・退職金の見直しをする。女性センターをつくる」と答えています。給与・退職金削減は、チョビットでしょうけれどのまざるを得なかったのでしょう。見向きもしなかった女性センターも出来ることになった。また、南部に文化施設がこなくなったので、住民センターをつくることを個人演説会で約束しました。市民が獲得できたということです。正直だれがつくったっていいのですから。施設の内容が不十分にならないよう、みんなが市民要望を出しましょう。

 黒塗りの公用車はやっぱりやめたくないようですね。せっかく4月に500万円で買ったのですからやめたくないのでしょう。また元府議会議員のところで買ったのですね。

 高齢者や障害者。小さい子どもを連れたお母さんたちが、あの危険な木津・八幡線をいっしょうけんめい市役所に行かざるを得ないのは、施策に問題があり、市長の責任でもあります。それが10分ぐらいの所を、毎日送り迎えということに気がとがめないのかと思いますが、致し方ありません。でも多くの市民は“権威の象徴”とお感じなんだなっと見ていることをお忘れなく。

 口でバリアフリーを言うのは簡単です。でも新田辺駅の障害者用トイレの鍵が壊れているのと同じで、市長の感覚次第ということです。続きに、以前にも言いましたが、アルプラザ二階の障害者用トイレは危険です。人目につきにくいのでチカンの巣になりやすいです。早く何とかしてほしいものです。近頃は子どもセンターなどの障害者用トイレは、鍵をしなければならないほど危険とのこと。変な話です。

 “シビックゾーン”とかなんとかをつくるために3期目に出たと記者会見で話されていましたが、選挙公報にはそんなこと載っていませんでした。“争点がない”という事へのお気遣いでしょうか。それともどこかへのラブコール?“争点”のとらえ方が違うというか。ご理解が出来なかったようです。「市役所から膿を出し市民の市役所にするのかしないのか」ということです。

 市職員のみなさんは、ホッと胸をなで下ろしておられることでしょう。でもこれから給食やなんやかやと民営化が進みます。市職員が何かをしても守ってもらうこともないでしょう。幹部に都合が悪ければ、たとえ命を落としてもあの職員さんのように“訃報”は出ません。みなさん明日は我が身ですよ。

 今回女性の支持が多く、女性たちの思いが票になったと感じています。デマとばしの民主党や、勢いのあった公明党にやられたということは間違いありませんが、どうもそれだけではないようです。意外なところが意外な動きを取ったようです。ここに書くことは出来ませんが、現職側の中枢からの話ですから間違いありません。

 とにかくこれからも週刊日誌は書きますよ。議会より早い情報もあるかもしれませんから、みなさん読んでくださいね。あっ、それとこんなお電話をいただきました。「今回現職に入れよと決めとったんや。土下座と涙、それと毎晩、助役が口汚く次田はんのこと個人演説会で言うもんやからいやになった。あんたにしたからな。元気だしや。助役は『次田が6000票以上取った』と言って、残念がっとったよ」

 有り難うございます。次田のり子、すでに復活!

 2003.4.28  市長選挙は駄目でした。応援してくださったみなさんありがとうございました。でも私は私自身、良くがんばったなと思っています。そしてスタッフのがんばりはすごかった。あと共産党票ぐらいがきたら良い勝負だったかも。だいたい読んだ数字どうりでした。

 選挙中はいろいろおしゃれなお食事をスタッフがつくってくれ、本日、おいしいケーキでしめました。勝ってもいないのに、ローソクをいっぱいたてて、誕生日でもないのに。

 細かい分析はこれからですが、私は、まったく組織票なしですからこれだけの人たちの支援をいただくということは、ただただ、すごい!まさに地をはう選挙。そして7428人は、確実に私の政策を理解してくれたということです。かなりこれはすごいということです。

 御支援いただいた方には心から感謝しています。全てはこれからです。

 2003.4.19  政党・組織・宗教団体には、まったく属さずがんばってきた議員生活8年間でしたが、明日届け出と同時に失職します。市民のみなさん、ビラまきなどお手伝いいただいた仲間の皆さん、本当にありがとうございました。そして何かとうるさいことを言いましたが、市職員の皆さんありがとうございました。

 うまく希望が叶えば、また皆さんと一緒に仕事ができます。うまくいかなかったときは、市民として、毎日とは行きませんが、できるだけ情報公開や、議会傍聴に行くつもりですので、よろしく。そのときは「市役所を5倍楽しむ方法」とか、「市役所探検記」などを書いてもいいですね。でもそんなことにならないようにがんばります。

 20日は雨らしいです。これで4年ごとの始まりは毎回雨。これも私らしいし、いいスタートが切れそうです。最後までがんばります。

 最後に、いつも週刊日誌を読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。選挙が終わるまでしばらくお休みです。再開がいい始まりになりますよう、次田のり子満身の力を込めて戦います。多分はじめで最後の戦いになると思います。後悔しないようがんばっていきます。暖かい応援をお願いします。みなさん本当にありがとう!

 2003.4.18  「平林助役が1年2ヶ月の任期期間を残して退任」と聞いて大変驚いた。温厚な人柄の助役だっただけに残念な気がした。すぐに市役所の助役室に行ったが不在だったのでお会いできなかった。

 それにしても久村市長2期8年の間に、懐刀とも言われる3人の助役と1人の収入役にやめていかれるとは、ただただ不信が募る。昨日、聞いた瞬間「また、愛想を尽かされたんだ」と思ってしまった。それでなければ、市長選を3日後に控えて記者会見はしないでしょう。

 共産党からの候補者擁立はやはりしないようだ。自由投票にするとのことだ。もちろん私は推薦も支持も依頼していない。選挙はあくまでも個人の意思で投票してほしい。市民として次世代の人の事も考えた投票となってほしいし、政党・組織に心を縛られてはいけない。

 同和問題を言えば「あなたは共産党?」と言われるけれどそうではない。おかしいと思うことはおかしいと言えばいいと思う。たとえば私は1ヶ月5000円で駐車場を借りているが、市内の同和地域で1年6000円というところがある。こんなことは共産党でなくてもおかしいと思う。

 私は、同和地域だから、部落問題にかかわる団体だからものを言わないなんて事はしない。トンネル団体ではないかと思うような所にはお金は出すべきではない。運動団体は自分たちのお金で運動するべきであり、これはどの運動体においても同じ事だ。こういった毅然とした態度を貫きたい。

 2003.4.12  「現市長を推薦する」という推薦書が大住区の区長を通して回覧されている。そこに署名・捺印をさせている。後援会に提出するのか。新興住宅地の自治会長の所にも依頼が来たらしいが、断った会長もいる。当然だ。署名運動の禁止と公選法に載っている。今時こんな事をする現市長を推す人たちの時代は何時代なんだろう。

 市長の選挙用リーフレットに、税金でつくった市勢要覧の写真を使うなど、あきれるようなことをしているかと思うと、今度は江戸時代の血判状もどき。おそまつすぎる。みなさんはこれでもいいのですか。もう少し街になりたいと思いませんか。

 府議会議員選挙が終わりました。それにしても久村市長は自民党の大野さんと、民主党の上村さんの二股でしたね。上村さんが当選したとたん、事務所にはせ参じたとか。「自治体の責任者としては何とも情けない」と感じた市民も多かったようです。私もそう思います。それならどちらにも行かない方がまだよかったと思うのです。まっ、久村さんらしいですが。

 上村さんも圧勝といわれていたのに160票差で当選でした。今度はちゃんと働かないと危ないということでしょうか。それにしても自民党の追い上げはすごいなと感じました。

 2003.4.10  「市から写真を渡した時点で所有権が移る」と市長公室次長が、改めて説明して下さいましたが、そんなことぐらいわかりますが、私はその前段を聞いているのです。「市の広報写真はどういう基準で渡すのか」と聞きました。次長の説明によりますと、「営利目的とか、悪意で使うという意思表示がない場合、ご本人が写っていることを基本としてお渡ししている」のだそうです。

 今回の場合、写っている方とは関係のない方に渡しています。また、選挙もある意味営利ではないでしょうか。それに、悪意で使う場合、意思表示なんてしますか?常識のない回答です。ふつうの感覚で考えてもらいたいと思います。

 「市民の税金でつくったものを何の断りもなく、市長と言えど、個人の選挙のリーフレットに使うな!」と、たったこれだけのことを言っているのです。ややこしいことをおっしゃるから、よけいややこしくなります。

 それにしても市勢要覧用に写した写真には、幼稚園児が何人も写っているわけです。とてもその子どもたちの保護者に許可を取っているとは思えません。市長、個人情報保護や、肖像権ということをご理解しておられますか?

 2003.4.9  市勢要覧用の写真の版権は業者にあるそうですが「市との契約書を見せてほしい」というと「情報公開制度を使って申請せよ」とのこと。致し方ないので、チョー忙しい中、情報公開をしましたが閲覧はすぐにできませんでした。

 市が委託した写真を、市長自身の選挙用リーフレットに、ふつう使いますかね?版権を持っている業者にも、税金で支払っている市民にも、何の断りもなくするべき事ではないでしょう。子どもたちの肖像権はどうなるんでしょうか。

 リーフレットをつくった後援会の質を疑いますが、了解した市長の感覚はおかしいと思います。いつの間にか、財布の区別がつかなくなったのでしょうか。何かの時には出回った数も問題になるかも知れませんから、今どれだけの方が手にしているか、あちこちで聞いていただいています。公費でつくったのに流用しているので、監査請求の対象になるかもしれないとのことです。弁護士の返事待ちです。こんなこと前代未聞です。

 イラクでロイターの記者たちが被害を受けたと大きく報道されていますが、戦場に安全なところなんてありません。市民は望んでもいないのに戦争に巻き込まれています。記者だからということでなく、武器を持たない市民が被害に遭っている、殺されていることを許してはいけないのです。せめて私は、アメリカ製のものは買いません。

  2003.4.8  市長の選挙用リーフレットを見た。あれ?市の広報用写真を利用しているではないか!早速選挙管理委員会事務局に聞いたが、「事前に使ってもいいかと聞かれたら、やめて下さいと言います」とのこと。市長の関係者がほしいと言ってきたらしいが、何に使うか聞いていないままに市が渡したらしい。それもどうかと思うが、市長も公私混同甚だしい。

 また、幼稚園児と楽しそうしている写真にも見覚えがある。市の要覧に掲載するために撮られたものの一枚だ。「業者が市長に差し上げたもの」というのが市の説明だが、それが選挙用リーフレットに載るなんておかしい。ふつうしませんよ。「版権や民事について調べないと、これがどうかわかりません」というのが市長公室次長の弁。

 市が依頼して、写真屋さんを呼んできて、要覧に載せるからと園児を借りてうつしたものすべて市の公費です。それをまるまる選挙用リーフレットに載せて良いのなら、みんなやります。「弁護士に聞きます」と次長は言います。「そんなことも調べず、何年も広報や要覧をつくってきているんですか」と、あきれてしまいました。

 とにかく一市議としても見過ごせない問題です。自分がこんな公私混同をしたら職員に迷惑をかけると思わないんでしょうか。それよりなにより、市民の税金でつくった市のための写真であり、市長の選挙用写真では決してありません。

 2003.4.7 5年前、私が田辺病院に男女混合病室があることを指摘し、改善していただいたのを覚えておられますか。そのときに保健所がどんな医療監視をしていたのか知りたくて、情報公開をしました。でも大切と思うところがすべて非公開となってしまったので、審査会に不服申し立てをしました。今日、私の申し立て・意見陳述がすべて認められ、やーと、祝・全面公開となりました。5年、5年ですよ。分析はこれからです。

 市役所でおこっている大きな問題その1

 「市街化変更問題で地検が入った。職員も何人か事情を聞かれた」と、ずいぶん前に聞きましたが、市から議会には未だに何も説明がありません。建設委員会で問題になったことだけに、説明するのは当たり前だと思います。

 内容はこうです。普賢寺中島区というところのある場所が調整区域だったのですが、市街化区域に変更するようある業者から依頼があったのです。ホームセンターのようなものを創り開発するという青写真や簡単な計画書付きでです。そこで何があったのかわかりませんが、その線引きはは変更され市街化となり、土地価格も約10倍高くなったのです。ところがそんな開発は未だにないどころか、その土地は担保に取られているのです。

 もちろんはんこを押したのは久村市長です。「なぜこんな見直しをすることになったのか」と、私の所属する建設経済常任委員会で問題になりましたが、市長は「手続きをふんだ」の一点張り。責任を取ろうとしません。100条委員会か公聴会を開こうという声もありましたが保守系議員たちが反対しました。

 こんな大きな問題を公表しないこと自体おかしいと思います。

 2003.4.6 「夫が4年後、市議に立候補」という噂がまた流れているようです。こういう噂にはジェンダーを感じます。要するに「女ごときが立候補する裏には、夫や支援者のいうままに動いているだけ」という事が言いたいのでしょう。「女をばかにしているよね!」と、家族にブチくっていると、「まだそんなこと信じる人がいるかな?」と、夫が呑気に言っているかと思うと「もうちょっと人の言うことを聞いてもいいと思うよ」と、息子たち。形勢が不利になってきたので、この話はおしまい、おしまい。

 「組織は人の心までは縛れない」と、4年前の選挙でも言い続けました。今回はそれがまともに大きな分かれ道をつくります。政党相乗りの現市長の8年間の無策は、将来にわたり悪影響以外の何ものでもないと思います。それを続けていくのか、変えるべきものは変えるという積極的な街作りを選ぶのかは、一人一人の責任かもしれません。

 リストラ・倒産が続く中で、組織が市民に何をしてくれたというのでしょう。組織拡大や、組織を守ることを最優先してきたばかりに、小さな貴重な声は踏みにじってきたではありませんか。私は組織にあまり期待をしていません。市民の感覚の方が確かだと思っています。「組織に人の心までは縛れません。私たちは心まで組織に縛られてはならないのです」

 2003.4.5 「あなたの所の集いはいろんな講師が来るし、いろんなお話が聞けるね。おもしろかった」と、岩室阪南市長をお招きした会に、神戸から来てくれた被災者公的支援実現ネットワークの中島絢子事務局長が言ってくれた。自慢ですがネットワークには事欠かない。

 岩室市長のお話は、いつも京田辺市政のあり方に沸々としていた人たちの胸をすっきりさせた。組織を持たない市民派市長の改革は「こんな事が市長しだいでできるんだ」と、驚くとともに感動もの。8年間何もやらなかった方には無理ですが。

 岩室市長は「私は2期8年しかしません。それ以上市長を続けると、どんな人にもしがらみができてしまい権力的になります」とおっしゃった。全く同感です。

   2003.4.3 「今の時代に、黒塗りの公用車に乗って見せびらかすようなことは、古いと言うより、権威と言うより、こうイッちゃぁなんだがレベルが低いね」と、私の尊敬している方の弁。「なるほどな」と、うなづけた。

 「正しい戦争なんかない!」と、私は思う。民主党はアメリカのイラク攻撃に対して「国連憲章に違反」とか「国連も認めていない」というが、国連が認めたところで戦争は戦争。“大義名分”があれば戦争してもいいというのはおかしいと思う。私はあくまでも“非戦”を貫くべきだと思う。

 “しまった!夕食の材料を買い忘れた!”と、昨夜は大あわてだった。冷蔵庫を見ると、ウィンナーと卵とほうれん草があるので、ウィンナーエッグにほうれん草のおみそ汁。そしておつけもの。なんか朝ご飯のような感じだった。

 にんじんとおあげさんを入れただけのかやくご飯は、食べてみると味がしない。「あれ?」あっ!おだしは入れたけれど、お醤油をわすれた!「なにこれ?」と、久しぶりに帰ってきた息子があきれ顔をしたので「母は忙しいの!」と、逆ギレしておいた。とにかく今は大変なのです。

  2003.4.2 「先輩の築かれた街づくりが花開くときに私が市長だっただけ」と、市長は事務所開きで発言した。これってこの3月議会で、私が市長に向けて言った言葉通りだった。議事録にも残っている。それなのに自分の事務所開きでふつう言うかなぁ?

 民主党などの政党の相乗りで市長は選挙をするようだ。こういった構図を見ると、市長が市民に顔を向けなかった理由がよくわかる。政党・組織にさえいい顔をしていれば選挙は安泰ということだ。政党・組織・地縁・血縁と、絵に描いたような旧来の選挙をされるようです。民主党の発言に「ふぅーん、そういうこと」と、あきれた。

 2003.4.1 さあ!4月に入った!やりますよ!元気イーッパイ、思いっきりがんばります。有権者の皆さん、決して棄権しないで下さい。日本には選挙権を持ちたくてももてない人がいます。私たちはしっかり自分たちの責任を果たしましょう。

 「副議長が辞職!」・・・びっくりしました。4月から年金支給額が下がります。まさかそのためではないかもしれませんが、それならなぜ?もちろん私も20日付で失職あつかいになるそうですが、自分で積み立てた一時金支給額は8%下がります。悔しいですが仕方ありません。

 突然ですが、女性と男性の組織論がどう違うかわかりますか?男性は縦割り社会構造を脱却することは難しいと思います。でも女性にはそういう構図はありません。ですから、社長にだって平気で話をしてしまいます。すると男性は「頭を越えた」というでしょうが、なぜ?という感じです。

 市民対話集会やフラットで話すことは女性の井戸端会議が基本です。だから抵抗なく女性の首長たちはやってしまうわけです。女性はゼロからの出発です。権威やメンツというものは持ち合わせていないし、なくすものは何もないのです。だから何も怖くないのです。こんな女たちがとても元気に政治参画を始めています。

 もう一つ、女たちには“生む”ということも可能ですから、“育む”ということが備わった性なのです。閣僚の半分が女性なら、そんなに簡単に戦争にはならないでしょう。政治や決定権を持つ場になぜ女性を増やす必要があるのか、よくわかっていただけるのではないでしょうか。

 最後に、世の中の半分を占める女たちの能力やキャリヤや力を資源と考えてみてはどうでしょう。半分の資源を使わないなんてもったいないことです。生かせる方法を考えるべきです。でも悪いですが、これは今のところ男性にはできないことです。

  2003.3.30夕刊 本日の夕方、市長の所の選挙事務所開きが開かれたらしいです。紅白幕をビャーンと引き、大きなステージをつくり大々的なものだったらしい。お金がかかっているでしょうね。参加者は70%ぐらいだったらしく、空席もあったとのことです。「夕方は冷える」と参加者のお年寄りの皆さんはぶちくっていたとか。

 市長の挨拶を聞いていた方たちは、「次田のことを『とるに足らん相手とも言われるし、きつくやってくるかもしれないとも言われる。皆さんよろしくお願いします』と、現職らしからぬ、泣きを入れとったよ」と、参加者の方からお聞きした。ふぅーん、私は市長にとって“無視できぬ相手”と言うことですね。やはりビビッてきたということでしょうか。

 「生涯学習センターをつくりたいが為3期目立候補した」と言ったらしいけれど、ハードをえさに、つらなければならない状態のようです。それも悲しい話です。また、市長は「自己矛盾を起こしておられるらしい」と言うのが皆さんの反応のようです。「先輩のしてこられたことを引き継ぎ、花咲くときに自分が市長であった」と市長自身、言っているらしいけれど、これって自分は何もしていないということですよね。それにそんなに先輩、要するに前町長を持ち上げるなら、前町長に反旗を翻すこと自体、おかしいことだったように思います。鳶に油揚げというか、いいとこ取りをしたということを、自分で言っているようなものですね。

 皆さん一番印象的だったのは「市長生活2期8年、歩幅は小さかった」と、市長自身が言ったことだったらしい。みんな思わずうなづいたとか。

 市長にからみつく人たちだけが、甘い汁を吸うようないい夢を見るのではなく、私は、“市民みんなでいい町を創ろう”と、皆さんと同じいい夢を見、実現したいと思います。旧態依然とした街づくりを選ぶのか、子どもたちにすてきな街を創るために、変えるべきものは変えようとする街づくりを選ぶのか。市民の皆さんの判断はいかに・・・。

 


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