1969年− | 京都ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に参加。 _ |
1979−84年 | 奈良県大台ヶ原山麓に家族ぐるみで引越。 山村の母親や先生とともに教育誌『ひと』の読書会を主催。 ママさんバレー、婦人会などにも積極的に参加しながら3児の子育てに専念。 _ |
1984年 | のちの京都「ひと塾」の前身、京都・綴喜「ひとの会」をつくる。 _ |
1986年 |
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1989年− | 地域で教育を考える「ひと塾セミナー」を立ち上げ現在に至る。 その他に人権を考える活動なども活発に展開。 「ひと塾セミナー」の講師は小田実、保坂展人、新屋英子、宮田秀明各氏など多彩。 _ |
1994年 | 田辺町職員汚職事件を契機に「これからの市民の自治を考える会」結成。 ____この会は、阪神淡路大震災の救援活動などを経て、市民自治と行政のあり方を考える市民運動に発展する。 また、職員が中元・歳暮などを公費で返送することの不当性を訴え、住民監査請求、住民訴訟へ。(当時の町長らを訴える。) _ |
1995年− | 「次田のり子とスイトピーの会」を結成。
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1996年 |
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1997年 | 京田辺市民日本語読み書き教室」発足、メンバーに。 ____府営団地を中心に、中国からの帰国された人たちの日本語教室を毎週月曜日に開く。 京田辺市民寄席をつくる会 を結成。 ____「露の新治氏を加えた世話人グループの代表に。地域の手軽な文化活動、下駄履きで来れる息抜きの場として毎回好評。2007年2月までで8回を数える。 ____ |
1998年 | 婦人民主クラブに入会。 第2期「次田のり子とスイトピーの会」(川端利彦代表)スタート。 LOPASを中心とした「虹と緑の500人リスト」に参加。98年秋、その京都版を立ち上げる。 _ |
1999年 | 4月 京田辺市議に4位−1283票で再選。 _ |
2000年 |
4月 第四回京田辺市民寄席。
10月 京都に男女平等条例をつくる会 を結成。四 |
2001年 |
1月 十代は今、私たちからのメッセージを開催。ゲスト:フォークシンガー豊田勇造他
6月 市と消防団の懇親会費用を監査請求。 9月 市と消防団の「官官接待訴訟」で市長を訴える訴訟を京都地裁に。 9月9日 第五回京田辺市民寄席。 11月11日 十代は今、私たちからのメッセージ第二弾。森毅さんの講演会開催。 12月 九十九園元職員と共に実態を調査し、京都府や京田辺市に対して改善を申し入れる。また、元職員の未払い賃金を払わせる取り組みを開始。四 |
2002年 |
4月 消防団「官官接待」訴訟、一審・不当判決。大阪高裁に上告。
6月8日 藤本弘子さんの夜間中学通学に公的介護を実現する会(通称:ヒロコクラブ)・結成総会、副代表に。 12月27日 次期市議選不出馬を表明。大変、みなさんを驚かせてしまう。四 |
2003年 |
1月12日 変えよう!きょうたなべ・市民の集いを開催。大盛況。 2月2日 第六回京田辺市民寄席。新治、小染、三象、染雀。 4月 京田辺市長選挙に立候補。次点7428票。4t@z444426 |
2004〜7年 |
市民として様々なボランティア活動、福祉活動などに関わる。
2007年4月 京田辺市議選に立候補。1495票を獲得、4位で当選。 |
京都「ひと塾」、男女共同政治参画セミナー、京田辺市民寄席、京都に男女平等条例をつくる会、(以上代表) |
藤本弘子さんの夜間中学通学に公的介護を実現する会(副代表)、 |
京田辺市民日本語読み書き教室、京都オンブズパーソン委員会、ふぇみん(婦人民主クラブ)、全国革新議員連盟 |
虹と緑の500人リスト、これからの市民の自治を考える会、11/11「十代は今」実行委員会、みどりの会議、フェミニスト議員連盟、WINWIN |
京田辺市ボランティア連絡協議会会長、市社会福祉協議会理事、市ボランティアセンター運営委員会委員、市貸付調査委員会委員 |
市社会福祉審議会委員(以上2004年度)、NPO法人クローバー・サービス理事長、 |
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